管理者コラム

ドイツの社会学者フェルデナント・テンニース(18551936)は中間共同体としてゲマインシャフト(Gemeinschaft)ゲゼルシャフト(Gesellschaft)に分類しました。中間共同体とは、大まかにいうなら国家と個人の中間を意味します。

テンニースのいうゲマインシャフトとは血縁的、地縁的、そして「意思」による精神的集合体で、「社会生活によって明らかに優れた意義を有している自然的な結合体」としています。ざっくりいうなら自然発生的、伝統的共同体、いわば地域、自治会、町内会、隣り近所、PTAなどのことです。

ゲゼルシャフトとは商取引が活発化し、資本主義社会が発達するにつれて利益や機能を重視して作られる、人為的共同体のことで、企業体やNPO、組合などのことです。わたしたちは自由に発言し、自由に判断し、自由に暮らしているかのように思っていますが、それらは権力からの自由であり実のところ生まれ育った故郷の社会、務めている地位、あるいは社会階級(貧富だけでなく)などから強く影響を受けて生きています。

資本主義的効率、つまりどうやってより儲けるのかという効率化を追求すれば、ゲマインシャフトである地域コミュニティーは劣化しても、ゲゼルシャフトが進化すれば良いはずだったのですが・・。高度経済成長時代にマイホーム願望が強くなり、家付き・CAR付き・ババヌキといって核家族化が進み、地域共同体に代わって会社や組合の内がコミュニティーでした。

家族会、運動会、旅行、共同購買、上司部下は兄弟同然、社員はみな家族。いまでも企業風土としてこの雰囲気を残す会社もあるでしょうが、かつてほどの家族ぐるみの社内コミュニティーは少なくなっているでしょうね。そして時代は「少子高齢化」。生き方、働き方は多様化していますが、「疎外感」と「孤独感」は増大しているようで、それは利益と効率と労働と商品を軸にした「ゲゼルシャフトにしか住んでいない」人が多くなっている証なのでしょう(都市化とよんでいますが)。

結婚、出産、子育て、介護、これらはゲゼルシャフトにはなじみません。子孫を残し、家族を増やし、老後の世話をするということは本来、利益や効率や商品という軸になじまないからです。しかし現状は「社会保障」という政策で、つまり予算という「お金のちから」によって補っています。が政策だけでは解決しそうにありません。そこで非効率的である地域共同体に関心が高まっているのですが、元来ゲマインシャフトは統一的利益や効率とは縁遠いもので、煩わしくもあり、おせっかいであり、諍いもあり、面倒であり、その面倒さを避けて「絆」や「仲間」などという共有する意識や関係を手にすることはできない共同体です。

そういう意味で行政施策、NPO活動のセミナーや講演などは地域共同体の再生に有用でしょうか。地域共同体は能力やキャリアで成り立っていません。「地域力」とは非効率的で面倒な作業の継続なのです。